2012年10月26日

治験に貢献する方法

●今週は治験にまつわる「あれこれ」です。

今日は(5)治験に貢献する方法 です。

あなたが治験に貢献する方法を考えよう。

モニターとして、CRCとして、治験責任医師として、治験事務局として、IRBとして、QCとして、QMとして、QAとして、DMとして、統計解析家として、教育担当者として、行政機関として、研究機関として、製薬協として、日本QA研究会として、モニタリング2.0として、治験ナビとして、ホーライとして・・・・・・。

僕の場合、この場ではホーライなので、強引に治験に貢献できる。

「ホーライ」の名前だと会社を離れて、多少、「やんちゃ」なことができる。

メルマガ、ツイッター、ミクシィ、facebook、ブログ、サイト、掲示板、なんでもありだ。

誰の許可も、誰の指示もいらない。

その代わり、組織を離れていると、組織に所属していないと出来ないことが見えてくる。

例えば・・・・・

例えば?

あら?

そんなの無いか?

チームワークを発揮することぐらいかな・・・・・。

僕がこっちやっている間に、きみは、あっちをやっておいて、ぐらいか?

う〜〜ん、あとは「大きな仕事をする」かな?


それはさておき、あなたが治験に貢献する方法を考えてみましょう。

一般の方なら「治験に参加する」かな。

業界の人なら「自分の業務」で貢献することを考えてみましょう。

どうやったら、自分の業務で治験に貢献できるかを考えるために、どうしたら「治験で成果」を出せるかを考えてみましょう。

モニターなら質も確保しつつ1日でも早く治験を終わらせる。

CRCなら治験をスムーズに進行させる。

教育担当者ならひとりでも多く、優秀なモニター、CRCを育成する。



大事なことは「成果を出す」ことを日常の仕事をやる時に意識することです。

昨日やったことを漫然と今日もやる、という態度は捨てて、いつも仕事の効率化、生産性向上を目指しましょう。

それが自分の成長にも繋がります。


僕たちの仕事は「仕事に貢献する」=「治験に貢献する」=「社会に貢献する」という図式で示せるとおり、社会に貢献できることが実感しやすい仕事です。

是非、みなさん、仕事で成果を出しましょう!

それがボーナスにも繋がります。^^v



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2012年10月19日

新薬開発におけるブレークスルー(クロマトグラフィーの発明。そして、これから・・・・)

10月9日に山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、また、ノーベル化学賞では「Gたんぱく質共役型受容体」の研究者のロバート・レフコウィッツ米デューク大教授と、ブライアン・コビルカ米スタンフォード大教授が受賞したということで、今週のホーライ製薬のテーマは「新薬開発のブレークスルー」です。

これまでの科学の歴史の中で、何が新薬開発にとって、ブレークスルーとなったかを見ていこう、というもの。


■■■ クロマトグラフィーの発明(1906年) ■■■

クロマトグラフィー (Chromatography) はロシアの植物学者ミハイル・ツヴェットが1906年発明した、物質を分離・精製する技法。

物質の大きさ・吸着力・電荷・質量・疎水性などの違いを利用して、物質を成分ごとに分離する。

クロマトグラフィーは色(ギリシャ語で chrōma)を分けるといった意味合いを持つ。

これは、ツヴェットがクロマトグラフィーで植物色素を分離した際に色素別に色が分かれて帯ができたことに由来する。

たとえば「青色のサインペン」で厚めの紙に●を書く。

その厚めの紙の端を水につけると、水が徐々に紙の中を染みて広がっていくが、その水が青色の●に到達し、さらに広がると、ナント!青いインクの中から黄色や赤などの色が分離される、というもの。

自宅でも簡単に実験できるから、是非、やってみよう!(中学生の夏の自由研究みたいだ。)


クロマトグラフィーは、固定相または担体と呼ばれる物質の表面あるいは内部を、移動相と呼ばれる物質が通過する過程で物質が分離されていく。

移動相には気体、液体、超臨界流体の三種類が存在し、順に、ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、超臨界流体クロマトグラフィーと呼ぶ。


これらのクロマトグラフィーは混合物から、ある化合物を単離する方法として抜群の効果を示す。

定量分析にも定性分析にも使用されるし、有機合成のプロセスの中で目的の物質を単離することにも使われる。

薬の研究は単離されることから始まる。

薬効を示す混合物から、ある化合物を単離し、薬効の本体を決める時にクロマトグラフィーが活躍する。

化合物は単離されて初めて分子式や構造式、科学的・物理的性質が分かり、合成できるようになる。

僕は大学4年生から院生の2年生までの3年間、ひたすら毎日、来る日も来る日もクロマトグラフィーで有機合成された化合物を単離していた。

そういう思いもあり、今回のテーマの最後にクロマトグラフィーを持ってきました。

クロマトグラフィーが無かったら、酸性の水溶液と有機溶媒の2種類の液体を1つの分液ロートで「ガシャガシャ」と振り混ぜ、そこから有機溶媒だけ取り出し、今度はその有機溶媒とアルカリ性の水溶液をひとつの分液ロートにいれて、また「ガシャガシャ」と振り混ぜ、そこから有機溶媒だけ取り出し、それを・・・・・と延々とやらないといけない。

そんな苦行のような作業から解放してくれるのがクロマトグラフィーだ。

「TLC」と言うと、一般の人にはアメリカ合衆国の女性音楽グループを指すけれど、僕にとっては「TLC」は「薄層クロマトグラフィー」(Thin-Layer Chromatography)なのだ。



・・・・・・ということで、今週は「新薬開発におけるブレークスルー」を見てきました。

もちろん、ここで選んだのは僕の独断です。

今週、紹介した以外にも次のような項目もブレークスルーとして考えていた。

●ビタミンの発見

●レントゲン写真の発明

●クロルプロマジンの発明(クロルプロマジンは統合失調症等の精神疾患の初めての薬。精神領域の治療方法の開発は重要。それまでは精神領域は悪魔か神の領域と考えられていた。それが人間が創った化合物で治せることが分かった。)

●有機合成方法の発展(グリニヤール反応のような人名反応等)

●受容体の発見

●抗がん剤の発見

●H.ピロリ菌の発見

●NMRの発明・核磁気共鳴画像法の発明

●マススペクトル(Mass Spectrum, MS) の発明

●たんぱく質などの質量分析を行う「ソフトレーザー脱着法」(田中耕一:ノーベル化学賞受賞)

●バイオインフォマティクスの発展

●シーズ探索⇒リード化合物⇒スクリーニング⇒非臨床試験⇒臨床試験(治験)⇒承認申請⇒製造販売後試験⇒再審査 というプロセスの発明

・・・・・・など等。

まだまだ、たくさんあるけれどね。

そういう、科学者の血の滲むような努力と忍耐と虚栄心と好奇心の塊としての数多くのブレークスルーが、今の創薬技術を支えている。

創薬は総合科学の世界。

これからも、多くのことが発見され、多くの物が発明され、それらがブルーくするーとなり、新薬の開発が行われる。

どんなものが発明されるんだろう?

どんなことが発見されるんだろう?

なんだかさ、ワクワクしない?

僕が生きている間に、どんなことが起こるのか、楽しみです。(でも、ちょっと寂しい。科学の極めを見られなくて・・・・・・。)




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2012年10月18日

新薬開発におけるブレークスルー(ペニシリン、ステロイド、ホルモンの発見)

10月9日に山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、また、ノーベル化学賞では「Gたんぱく質共役型受容体」の研究者のロバート・レフコウィッツ米デューク大教授と、ブライアン・コビルカ米スタンフォード大教授が受賞したということで、今週のホーライ製薬のテーマは「新薬開発のブレークスルー」です。

これまでの科学の歴史の中で、何が新薬開発にとって、ブレークスルーとなったかを見ていこう、というもの。


■■■ ペニシリンの発見(1929年) ■■■

ペニシリンは、1929年にイギリスのアレクサンダー・フレミングによって発見された、世界初の抗生物質である。

発見後、医療用として実用化されるまでには10年以上の歳月を要したが、1942年にベンジルペニシリン(ペニシリンG、PCG)が単離されて実用化され、第二次世界大戦中に多くの負傷兵や戦傷者を感染症から救った。

以降、種々の誘導体(ペニシリン系抗生物質)が開発され、医療現場に提供されてきた。

1980年代以降、日本国内においては主力抗菌剤の座をセファロスポリン系抗生物質やニューキノロンに明け渡した感があるが、ペニシリンの発見はこれらの抗菌剤が開発される礎を築いたものであり、しばしば「20世紀における偉大な発見」の中でも特筆すべき一つとして数え上げられる。

フレミングの「ペニシリンの発見」とフローリー等の「ペニシリンの再発見」とそれに続くペニシリンGの実用化は感染症の臨床治療を一変させ、その功績によりフレミング、フローリー、チェインには1945年にノーベル医学・生理学賞が授与された。


これらを機に抗生物質の研究が爆発的に進んだ。

1990年頃には、天然由来の抗生物質(Antibiotics)は5000〜6000種類があると言われ、約70種類(微量成分を含めると約100種類)が実用に使われている。

この他にも半合成抗生物質も80種が利用されている。

Antibioticsの単語は、抗生物質の一種ストレプトマイシンを発見したセルマン・ワクスマン(ノーベル賞受賞)が1942年のアメリカ細菌学会で、二種の細菌が同じ場所に存在する際に生じる拮抗する現象(英語: antibiosis)を元に決められた。


抗生物質の分類は、化学構造からの分類と作用による分類の2つがある。

化学構造からの分類では、β-ラクタム系、アミノグリコシド系、マクロライド系、テトラサイクリン系、ペプチド系、核酸系、ポリエン系などに大別されるが、さらに細かくペニシリン系、セフェム系、モノバクタム系を加える場合もある。

作用からの分類では、抗細菌性、抗カビ(真菌)性、抗ウイルス性、抗腫瘍性などに分けられる。


ちなみに、僕は小学2年生の時に「リウマチ熱」という病気に罹患した。

この病気の原因は「溶連菌」なので、4年間、毎日、毎日、ペニシリンを服用していた。(味がまずい!という印象はいまだに残っている。)

リウマチ熱は溶連菌感染に基づく免疫的機序が原因とされる膠原病である。

この病気が悪化すると心臓弁膜症になるが、危うく、僕は助かった。

リウマチ熱が発症して、しばらく、僕は副腎皮質ステロイド剤を服用していた。

激しい運動も禁止され、体育の時間はいつも「見学」だった。

成人してからも、健康診断の問診票の既往症欄に「リウマチ熱(7歳)」と書くので、必ず医師から「心臓は大丈夫?」と聞かれた。

(もちろん、大丈夫で、ただし、今では毛が生えている。)

僕はペニシリンとステロイドに命を救われ、大学で与えられたテーマは「βラクタム環(ペニシリンの基本骨格)の合成研究」だったのは偶然。

ということで、次のテーマはステロイドです。



■■■ ステロイドの発見(1948年) ■■■

ステロイドは魔法の薬とも呼ばれていた時代がある。(今も、患者さんにとってはそうだろう。)

臨床適応は極めて多岐にわたり、全ての医療用医薬品において最も健康保険の適応となる疾患が多い医薬品である。

さらに適応外ではあっても、積極的に臨床応用されている疾患も多く、いわば「万能薬」的な存在ともいえる。

その適応症は湿疹・皮膚炎、虫刺されのようなありふれたものから膠原病・悪性腫瘍などの難治性疾患にまで及ぶ。

関節痛または関節炎、側頭動脈炎、皮膚炎、アレルギー反応、喘息、肝炎、全身性紅斑性狼瘡、炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎とクローン病)、眼疾患(ブドウ膜炎)、サルコイドーシスの治療、そして、慢性原発性副腎皮質機能低下症、副腎機能障害など糖質コルチコイドの欠乏症の治療にも使われる。

また、副腎皮質ホルモンは、嘔吐の抑制剤としてしばしば5-HT3受容体拮抗型制吐剤(例えば、オンダンセトロン)と組み合わせて使われる。

我が家の次女はアトピー性皮膚炎があるので、ステロイド剤(外用)を常に使っている。

ステロイドに関する研究ではヘンチ、ケンダル、ライヒシュタインの三人の医師がノーベル賞を受賞した。(1950年)

エドワード・カルビン・ケンダルはコルチゾンの発見者として知られる。

ステロイド剤の広範な薬理作用は「免疫抑制」をベースに考えると分かりやすい。

「関節リウマチ」には、今では様々な薬があるが、ステロイドが特効薬だった時代が長い。

前述のフィリップ・ショウォルター・ヘンチらが1950年代、世界ではじめてステロイド(糖質コルチコイド)の一種であるコルチゾンという物質を治療目的で関節リウマチ患者に投与したのである。

これはまさに奇跡的な効果を発揮したと伝えられており、ステロイドの歴史は関節リウマチとともに始まったと言えるし、逆に関節リウマチの治療の歴史もステロイドとともに始まったのである。

ヘンチはこのことでノーベル生理学・医学賞を受賞している。

iPS細胞の山中伸弥も、臨床医(整形外科)だったころ、関節リウマチの患者の曲がった手の指を見て「基礎研究をしたい」と思ったとのこと。




■■■ ホルモンの発見(多分1895年) ■■■

セクレチンというホルモンがある。

作用は膵臓からの重炭酸塩の外分泌を亢進させる消化管ホルモンである。

塩酸を含むため酸性を帯びた粥状液が胃から送られてくることによって十二指腸の pH が低下すると分泌される。

27個のアミノ酸からなるペプチドホルモンであり、そのうち14個はグルカゴンと同じ配列を持つ。

1902年、血液によって運搬されて生理学的効果を及ぼす基質として初めて同定された。

この種の基質は「ホルモン」と名づけられ、セクレチンは最初に発見された1つとなった。

セクレチンを発見したウィリアム・ベイリスとアーネスト・スターリングによって命名された。

今では30種類以上のホルモンが発見されている。

そして、その多くが薬として使われたり、標的になっている。



副腎髄質より分泌されるホルモンのアドレナリンは1895年にナポレオン・キブルスキーによって初めて発見された。

これとは独立に、ニュージャージーの研究所にいた高峰譲吉と助手の上中啓三は1900年にウシの副腎からアドレナリンを発見し、1901年に世界で初めて結晶化に成功した。

アメリカ合衆国の研究者ジョン・ジェイコブ・エイベルはヒツジの副腎から分離した物質に「エピネフリン (epinephrine)」と名付けた。

アドレナリンは1904年にフリードリヒ・シュトルツおよびヘンリー・デーキンらによって独立に合成された。


エピネフリンはアドレナリンとは分子式の異なる物質であったが、高峰の死後に、エイベルは高峰の研究は自分の盗作であると主張した。

これはアドレナリン発表寸前に高峰がエイベルの研究室を訪問した事実を盾に取った主張であった。

それまでの実績が主として発酵学の分野で、こうした分野での実績に乏しい高峰が、研究に大きな役割を果たした上中の功績を強調せず、自己の業績として発表したことも、本当に高峰らの業績だったのかを疑わせる一因であったと指摘する考えもある。

しかし、後年、上中の残した実験ノートより反証が示されており、またエイベルの方式では抽出できないことも判明して、高峰と上中のチームが最初のアドレナリンの発見者であったことは確定している。

なお、上中が残した実験ノートは兵庫県西宮市の名刹・教行寺に保管されている。

本当に、昔から、科学の世界は熾烈な先陣争いが繰り広げられる世界だ。



現在ではアドレナリンもエピネフリンも同じ物質のことを指しているが、ヨーロッパでは高峰らの功績を認めて「アドレナリン」の名称が使われているのに対して、アメリカではエイベルの主張を受けて、副腎髄質ホルモンを「エピネフリン」と呼んでいる。

現在、生物学の教科書・論文では世界共通でアドレナリンと呼んでいるのに対して、医学においては世界共通でエピネフリンと呼ばれている。

「生体内で合成される生理活性物質」という捉え方と、「医薬品」という捉え方の違いからだが、日本では医薬品の正式名称を定める日本薬局方が改正され、2006年4月より、一般名がエピネフリンからアドレナリンに変更された。


ちなみにネットで「ホルモンの歴史」を検索すると「焼肉の歴史」とか「仙台ホルモンの歴史」というようなことばかりがヒットする・・・・・・・。



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2012年10月17日

新薬開発におけるブレークスルー(ワクチンの発明、免疫・抗体の研究)

10月9日に山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、また、ノーベル化学賞では「Gたんぱく質共役型受容体」の研究者のロバート・レフコウィッツ米デューク大教授と、ブライアン・コビルカ米スタンフォード大教授が受賞したということで、今週のホーライ製薬のテーマは「新薬開発のブレークスルー」です。

これまでの科学の歴史の中で、何が新薬開発にとって、ブレークスルーとなったかを見ていこう、というもの。



■■■ ワクチンの発明(1796年) ■■■

エドワード・ジェンナーが天然痘ワクチンを開発。

ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛の乳搾りなどをして牛と接することによって自然に牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった。

天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。

ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップスというジェンナーの使用人の子である8歳の少年に牛痘を接種した。

少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。

6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。

その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。


ジェンナーのワクチン発明後、ルイ・パスツールが病原体の培養を通じてこれを弱毒化すれば、その接種によって免疫が作られると理論的裏付けを与え、応用の道を開いたことによって、さまざまな感染症に対するワクチンが作られるようになった。

パスツールワクチン(1883年)をパスツールが開発。

ルイ・パスツールが微生物が病原体である可能性を示唆したとも言われている。

ただし、この業績はネットで調べると分かるけれど疑問視されている。



ちなみにパスツールは酒石酸の光学分割により初めてキラル分子の存在を実証。

光学異性体は重要な概念で、薬の世界でも光学異性体の一方が薬効を示し、もう一方は副作用を出す化合物があることはよく知られている。

例えば、サリドマイド。

市販のサリドマイドは等量のR体とS体が混ざったラセミ体として合成される。

開発された当時の技術では分離が難しく、ラセミ体のまま発売された。

後にR体は無害であるがS体は非常に高い催奇性をもっており高い頻度で胎児に異常をひき起こすとの報告がなされた。

現在の技術ではR体・S体の分離(光学分割)、および一方のみを選択的に合成(不斉合成)することも可能である。

ただし、R体のみを投与しても比較的速やかに(半減期566分)動物体内でラセミ化するという報告がある。

このため単純にR体が催眠作用のみを持ち、S体が催奇性だけを現すという報告は疑問視されている。

こういう光学異性体を特異的に合成する方法として「キラル触媒による不斉反応の研究」があり、この研究で野依 良治(のより りょうじ)が2001年にノーベル化学賞を受賞している。


ワクチンの発明から、「抗体」や「免疫」という概念に科学のメスが入った。



■■■ 免疫の発見(前史〜19世紀) ■■■


「免疫」の概念は数千年の間人類の興味を引いていた。

前史時代の病気に対する考えは、超自然的な力が原因で、神あるいは敵のそばで魂に尋ねてきた、悪い行いや悪魔の考えを神が罰する形が取られたものとされた。

ヒポクラテスと19世紀の間には科学的方法の基礎が作られ、病気は4つの気質(血、粘液(痰)、黄色胆汁、黒色胆汁)の1つが変化するかバランスが崩れることに帰せられた。

この期間に人気があったのは瘴気論(しょうきろん)である。

コレラや黒死病は"悪い空気"の有毒な形である瘴気によって起こるとされた。

誰でも瘴気に接触すると病気に罹った。


書いた記録に「免疫」概念が最初に現れるのは、アテネのトゥキディデスによってBC430年に書かれたものである。

彼は「病人や死にそうな人は病気から回復した人々によって手厚く看護された。なぜなら彼らは病気の経過が分かっており彼ら自身はもう心配はなかったから。そして以前病気に罹ったものは2回は罹らず死ぬことはない」と記した。

免疫(immunes)なる言葉がBC60年頃詩人マルクス・アンナエウス・ルカヌスによって詠まれた叙事詩『ファルサリア』中にも見受けられる。

彼は北アフリカ部族の蛇毒抵抗性を描写した。


特定の病気の病原体によって引き起こされる免疫(immunity)についての記述が最初に臨床的な視点でなされたのは、おそらくイスラムの医者アル・ラーズィーによって書かれた『Kitab fi al-jadari wa-al-hasbah』(天然痘および麻疹についての論文、翻訳1848年)だろう。

論文中、彼は天然痘と麻疹の臨床描写を行い、これらの特定の病気を起こすものに接触すると長続きする免疫immunityがつくことを示した(彼は免疫immunityと言う言葉を使わなかったのだが)。

しかし誕生後間もない科学である免疫学が、いかに細菌が病気を起こすか、そして感染後いかに人の体がさらに障害を受けないよう抵抗力を獲得するのかの説明を始めるまで、ルイ・パスツールによる病気の病原体説まで待たねばならなかった。

1796年エドワード・ジェンナーは死んでいないウイルスだが天然痘に対する免疫を誘導する牛痘を用いたより安全な接種法を導入した。

ジェンナーの取ったやり方の成功とそれが一般的に認められたことは、その後19世紀終わりにワクチン接種の性質の一般性がパスツールによって導き出され発展したことへつながった。






■■■ 抗体の発見(1890年) ■■■


北里 柴三郎は1889年に世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功、1890年には破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚嘆させた。

さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発した。


ジフテリア・破傷風は人の体内で毒素を放出する。

この毒素が病気を引き起こしているわけだ。

そこで、彼はこの毒素をすこしづつ、段階的に量を増やしながら、うさぎに注射してみた。

天然痘の治療に人痘が接種され、ジェンナーが牛痘を開発して、天然痘の予防、治療に成功したことが引き金となり、病原菌を接種するという考えが普通のことになっていた。

すると、毒を接種されたうさぎの体内で、毒素を中和する不思議な働きをする物質が作られ始めた。

毒に対する抵抗力が生まれたわけだ。

そこで、注射した毒素を中和するように体内で生成された物質を、北里は毒に対抗する物質ということで、「抗毒素」と呼んだ。

この抗毒素こそ、今日の免疫学を誕生させた、といってもよい歴史的な大発見、「抗体」の発見だった。

一緒に研究していたベーリングは、この発見によりノーベル賞を受賞するが、北里は受賞しなかったのは有名(その後、このことに対して、いろんな説が出された。当時、東洋人は軽視されていた、とか)。


ところで、自然界は人間にとって何百万、何千万という「毒、異物」があるわけだけれど、それらの「毒、異物」が体内に入ると「抗体」ができる。

なぜ、抗体はそんなに数多くの異物に対応できるのだろうか?

これは長い間、謎のままだった。

この謎を解明したのが、利根川進だ。(1976年)

彼は、この功績で1987年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。(日本人として初めての生理学・医学賞。今回の山中伸弥が二人目になる。)

利根川進と立花隆が対談した「精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」は無茶苦茶おもしろい!!

しかし、話はそれるが、この本を読んで立花隆のすごさも実感した。

立花隆は文系の人だが、科学に対する研究・論評も尋常な域を出ている。
   ↓
「サル学の現在」

「宇宙からの帰還」

「地球外生命 9の論点」

「臨死体験」

「がん 生と死の謎に挑む」

「ランダムな世界を究める―物質と生命をつなぐ物理学の世界」


立花隆は物事の本質を突くのがうまく、科学の何が人類に貢献し、どこに問題が存在しているのかを一般の人に分かりやすい表現で示してくれる天才だ。


話は戻ります。

今、「抗体医薬」が注目されている。

抗体医薬品とは、生体がもつ免疫システムの主役である抗体を主成分とした医薬品。

一つの抗体が一つの標的(抗原)だけを認識する特異性を利用している。

抗体医薬品は、副作用の少ない効果的な治療薬として注目されている。

ゲノム解析により、創薬のターゲットとなる抗原分子が特定されていくことで、抗体医薬の可能性が拡大していくことが期待されているというわけだ。

時間がある人は(無くても)次の資料を読んでおこう。
  ↓
●抗体医薬の現状と展望
  ↓
「抗体医薬の現状と展望」



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2012年10月16日

新薬開発におけるブレークスルー(病原菌・ウイルスの発見)

10月9日に山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、また、ノーベル化学賞では「Gたんぱく質共役型受容体」の研究者のロバート・レフコウィッツ米デューク大教授と、ブライアン・コビルカ米スタンフォード大教授が受賞したということで、今週のホーライ製薬のテーマは「新薬開発のブレークスルー」です。

これまでの科学の歴史の中で、何が新薬開発にとって、ブレークスルーとなったかを見ていこう、というもの。


■■■ 病原菌の発見(1876年) ■■■


ロベルト・コッホは1876年、炭疽菌の純粋培養に成功し、炭疽の病原体であることを証明した。

コッホは1905年にノーベル医学・生理学賞受賞。

このことによって細菌が動物の病原体であることを証明し、その証明指針であるコッホの原則(*)を提唱した。


コッホは炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者である。

純粋培養や染色の方法を改善し、細菌培養法の基礎を確立した。

寒天培地やペトリ皿(シャーレ)は彼の研究室で発明され、その後今日に至るまで使い続けられている。



***** コッホの原則 *****

1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること

2. その微生物を分離できること

3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること

4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

******************



病気が病原菌が原因と分かり、研究の対象がはっきりした。

ただし、微生物が病原体である可能性を最初に示唆したのはパスツールという説もある。

これにより、新薬の開発に直接、つながる研究ができるようになる。





■■■ ウイルスのの発見(1935年) ■■■


微生物もさることながら、ウイルスの発見も偉大だ。

ウイルスは生物なのか生物ではないのか。

ウイルスは細胞を構成単位としないが、遺伝子を有し、他の生物の細胞を利用して増殖できるという、生物の特徴を持っている。

現在でも自然科学は生物・生命の定義を行うことができておらず、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝、増殖できるものを生物と呼んでおり、細胞をもたないウイルスは、非細胞性生物または非生物として位置づけられる。

あるいは、生物というよりむしろ"生物学的存在"といわれる。

僕(ホーライ)も、ある意味インターネット上は「生物学的存在」かもしれない。(どういう意味?)


微生物学の歴史は、1674年にオランダのレーウェンフックが顕微鏡観察によって細菌を見出したことに始まり、その後1860年にフランスのルイ・パスツールが生物学や醸造学における意義を、1876年にドイツのロベルト・コッホが医学における意義を明らかにしたことで大きく展開した。

特にコッホが発見し提唱した「感染症が病原性細菌によって起きる」という考えが医学に与えた影響は大きく、それ以降、感染症の原因は寄生虫を除いて全て細菌によるものだと考えられていた。

1892年、タバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないことをロシアのディミトリー・イワノフスキーが発見し、それが細菌よりも微小な顕微鏡では観察できない存在であることを報告した。

またこの研究とは別に、1898年にドイツのフリードリッヒ・レフラーとポール・フロッシュが口蹄疫の病原体の分離を試み、これが同様の存在であることをつきとめ、「filterable virus(濾過性病原体)」とも呼ばれた。

同じ年にオランダのマルティヌス・ベイエリンクはイワノフスキーと同様な研究を行って、同じように見出された未知の性質を持つ病原体を「Contagium vivum fluidum(生命を持った感染性の液体)」と呼んだ。



1935年にアメリカのウェンデル・スタンレーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、この結晶は感染能を持っていることを示した。

化学物質のように結晶化できる生物の存在は科学者に衝撃を与えた。

スタンレーはこの業績により1946年にノーベル化学賞を受賞した。

スタンレーはウイルスが自己触媒能をもつ巨大なタンパク質であるとしたが、翌年に少量のRNAが含まれることも示された。

当時は、病原体は能動的に病気を引き起こすと考えられていたので、分子ロボット(今で言うナノマシン)の様な物(ウイルス)で我々が病気になるという事に当時の科学者達は驚いた。

それでも当時はまだ、病原体であるには細菌ほどの複雑な構造、少なくとも自己のタンパク質をコードする遺伝子位は最低限持っていなくては病原体になりえない、と思われていた。

ハーシーとチェイスの実験は、バクテリオファージにおいてDNAが遺伝子の役割を持つことを明らかにし、これを契機にウイルスの繁殖、ひいてはウイルスの性質そのものの研究が進むようになった。

同時に、この実験は生物の遺伝子がDNAであることを示した。




HIV(Human Immunodeficiency Virus)は1983年に、パスツール研究所のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシらによってエイズ患者より発見され「LAV(Lymphadenopathy-associated virus)」と命名された。

1984年に、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロらも分離に成功しており、「HTLV-III(Human T-lymphotropic virus type III)」と命名した。

最初の発見者を巡って、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって対立し、1994年に両者が共に最初であるとして決着したが、長期の対立はエイズ治療薬の特許が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であった。

2008年10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの2人がウイルスの発見者として、2008年のノーベル生理学・医学賞を授与された。

HIVの起源はカメルーンのチンパンジーという説が有力であり 、そこから人に感染して世界中に広まっていったと考えられている。

1981年にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性に初めて発見され症例報告された。

ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしき症例は1950年代から報告されており、「やせ病」という疾患群が中部アフリカ各地で報告されていた。

1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中に100万人にまで広がっていった。



当初、アメリカでエイズが広がり始めたころ、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者に同性愛男性や麻薬の常習者が多かったことから感染者に対して社会的な偏見が持たれたことがあった。

現在は病原体としてHIVが同定され、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、広く一般的な問題として受け止められている。

HIVは最初のAIDS症例報告の1981年からわずか2年後には発見され、さらにその3年後には満屋裕明により1985年、世界初のHIV治療薬「AZT」が開発された。

これは病気の報告から、原因発見、治療薬発明までの驚異的な、歴史的なスピードだった。

どれだけAIDSが社会的に注目されていたかということを示しているが、科学の発達ももちろん影響している。


今では正しく治療すればHIVに感染しても寿命を全うする人が多くなってきた。



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